後見を始めるか否かは本人の判断能力次第です。判断能力が無いことが確かなら後見を始めてもよいでしょうし、判断能力があるならば後見を始めてはいけません。「判断能力が無いから後見を始めようとしているのに、本人の状態を確かめる必要があるのか」とか「判断能力の有無は、医者の診断書があれば十分でしょう」と思う人もいるかもしれません。しかし、後見が始まって被後見人になるということは、「この人は単独では取引ができない人ですよ」と世間に公示されるのと同じことですし、後見人に払う費用が発生することもあるので、後見を始める前に家庭裁判所は、本人の状態を調べることになっています。実際、年間100件くらいは、後見等を始めることは不適切と判断され、後見開始の申し立てが棄却されています。
本人調査は、家庭裁判所の調査官が本人に会うのが原則です。本人が家庭裁判所に行く場合、多くの人は緊張し、いつもの調子が出ないように見受けられます。そもそも裁判所に行くまでに疲れてしまうでしょう。
調査官が家や施設や病院に来てくれる場合、そして、家族などが同席すると、本人の本当の姿が見えることが多いのですが、家族などの同席を嫌がる調査官が多いように感じます。
最近では、アンケート形式の書面を郵送し、本人の状態を把握する方法が取られることもあります。いずれにせよ、自分が自分であることをわかっているか、自分の財産がどこにいくらあるかをわかっているか、後見を使うことで印鑑登録が抹消されてしまうなどの不都合があるがそれでもよいかなどを聞きます。
調査官のなかには、ぼそぼそと話して聞こえづらかったり、理解できないような難しい言葉を並び立てたりする人もいれば、聞き取りやすい声や言葉で調査する人もいます。
調査の様子をみていると、まったく何もわからないような人は稀で、多くの人は受け答えはできます。だいたいのことはわかっているような感じでヒアリングは進んでいきますが、知らない人から、病気のこと、家族関係のこと、お金のことを聴かれるのを不快に思い、「わからない」と意識的に濁して回答する人もいます。そうすると「本人はわかっていないから後見でOK」という報告書が作成されてしまいます。
報告書は一般でいう裁判官、後見制度では審判官に提出され決定に大きな影響を与えます。調査官が作成した報告書は、本人あるいは後見を始めたいと申し立てた人はおよそ見ることができます。言ってないことが書かれることはありませんが、ニュアンスや文脈が趣旨と異なり、反対の表現になっていることは少なからずあるので、確認するとよいでしょう。
決定前の本人調査は、いわゆる植物状態の場合を除いて、絶対にやらなければいけないルールになっています。しかし実際には、本人調査をせずに後見開始の審判を出すケースが多く、「知らないうちに後見の申し立てをされ、知らないうちに後見人がついていてびっくりした」と本人がいうケースがあるのは、この本人調査を割愛することで生じるものであり、適切な運営とは言えません。
なお、「後見人は家族がよい」と言っても、家族が後見人に選ばれることの方が少ない実情もあり、何のための面接なのかという不満の声も少なからず聞こえています。
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