4.本人がどこに住むかについて
後見人等は、被後見人等に対し、「ここに住みなさい」と指定し、その手配をすることはできません。どこに住もうが、本人の自由だからです。その自由は、後見制度を使ったくらいで剥奪されることはないのです。
本人の居場所を巡って、このようなエピソードがありました。
東日本大震災で、自宅を流されてしまった親子がいました。お母さんは80代、娘さんは50代でした。お母さんは群馬県の老人ホームへ、娘さんは埼玉県の知り合いの家に身を寄せることになりました。
数年が経ち、娘の子ども家族が暮らす東京に、お母さんと娘が住む小さな家を買うことを二人で決め、都内の住宅メーカーと話を進めました。
ところが、お母さんを契約者として、手付金を払い、仮登記が終わった時に問題が発生しました。住宅メーカーが連れてきた司法書士が、「お母さんに後見人を付けないと本登記も登記抹消もできない」と言ってきたのです。娘さんは、「だから、当初から、『母は認知症だけど契約しても大丈夫ですか?』と聞き続けてきたじゃないですか!」と住宅メーカーに詰め寄りましたが、もはや意味はなく、お母さんに後見人を付ける手続きを家庭裁判所に取りました。
後見人が付き、ようやく新しい家の購入が成立しました。いよいよ引っ越す段階で、また、新たな問題が発生します。後見人が、「家は買ったけれど、都内に引っ越す必要はない。このまま群馬県の老人ホームにいた方が費用が安くて良い。家庭裁判所も同じ意見である」と言い出したのです。この言動に娘さんは激怒。国がそんなことを言ったのかを確認するために家庭裁判所の後見係に乗り込んでいきました。弁護士後見人からのメールを見せると、家庭裁判所の担当者は、「そんなことは言っていません、そもそもどこに住むかは本人の自由で、後見人も家庭裁判所も指定することはできませんから」と回答しました。
その足で後見人のところへ行くと、後見人は驚愕の表情になり、話し合いの結果、「だったら都内の家に引っ越すことを認めますよ」と、許可を出すような物言いで、後見人の権限が依然わかっていない様子でした。
そうしてようやく、老人ホームからの退所手続きや、都内の在宅介護サービスの手続きをしていく過程で、お母さんの体調が急変し、新しい我が家に、娘と暮らすことなく他界されたのです。この震災で家を失い、後見制度に翻弄された親子の実話を皆さんはどう思うでしょうか?
5.遺言を書くことについて
後見人ができないことの最後は、本人に代わって遺言を書くことです。遺言は、本人が亡くなってからの行為であり、生きている間の代理人である後見人に権利はありません。
以上、後見人と言えどもできないこととして、結婚、離婚、養子縁組、医療行為を受けるか受けないか、働くこと、どこに住むかの決定、遺言をあげました。これらは、どのような状況であろうが、その人のみができる、「一身専属の行為 」であり、後見制度の範疇を超える行為となっています。
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