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竹内弘道さん
NPO法人Dカフェnet代表理事 |
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高齢社会が進展するなか、認知症の方や介護者、地域住民が交流できる存在として「認知症カフェ」の需要が高まっています。新オレンジプラン(2015年)においても「認知症カフェの設置を推進する」と明記され、認知度も徐々にアップしています。
東京都目黒区で10カ所の「Dカフェ」(認知症カフェ)を運営している「NPO法人Dカフェnet」代表理事・竹内弘道さんにお話をうかがいました。
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−「Dカフェ」という名称にはどのような意味があるのですか?
竹内:「Dカフェ」という名称にしたのは、「認知症」という言葉を使うと、利用をためらう人が出てくるのではないかと思ったからです。多くの人は、認知症であることを認めたくない、周囲には隠しておきたいと考えています。そこで認知症ということを感じさせず、気軽に訪れることができるようにDカフェという名称にしました。
DカフェのDには3つの意味を込めています。まず一つはDementia(ディメンシア/認知症)の頭文字、そして2つめは「誰でも」のD。当事者だけではなく、専門職や地域住民、誰でもいらっしゃいということです。そして3つめはDistrict(地域)のDということになります。Dカフェとは認知症を入り口にして、介護や子育てについておしゃべりし、学ぶことができる地域の交流拠点なのです。
−竹内さんは、自宅を開放した「Dカフェ・ラミヨ」をはじめ多くの認知症カフェを運営されています。どのようなきっかけで、こうした活動をはじめられたのですか?
竹内:私は母と二人暮らしだったのですが、昭和の終わりごろから母に少しずつ認知症の症状が出てくるようになりました。その後、骨折が原因で車いす状態になり、自宅で介護を続け、デイサービスなども活用していました。そんなとき目黒区の保健師さんから、「たけのこ」という認知症家族会をすすめられました。一般に家族会というと、介護者だけが集まって悩みを話すところが多いのですが、「たけのこ」は認知症の方も一緒に出席して話をしていました。そこでさまざまなタイプの認知症の方や家族に出会い、それが認知症について深く考えるきっかけとなりました。
−「たけのこ」での活動がDカフェにつながるのですね。
竹内:「たけのこ」で活動していて気付いたことが一つありました。それは家族会の参加者の輪が当事者たちだけで閉じていて、なかなかオープンになっていかないということでした。世間には、認知症に対する偏見や無理解が数多くあります。そのため家族や本人は、認知症であることを隠そうとして、引きこもりがちになるのです。
認知症は決して怖い病気ではありません。加齢の一つの側面であって、すべての機能が失われるわけでも、日常生活を送れなくなるわけでもありません。症状を受け入れ、理解したうえで適切につきあえば、穏やかに暮らしていくことができます。
実際に介護をしてきた立場からすると、介護を通して得られたものや気付かされたことがたくさんあります。そのことを周囲の人にもっと理解して欲しいという思いがありました。そこで気軽に認知症について話すことのできるカフェをつくろうと思い立ったのです。
「Dカフェ」は誰もがオープンに交流できる場所をめざしました。本人や家族だけでなく、医師やケアマネジャー、介護ヘルパーといった専門職の方、認知症に関心のある地域の人たちも参加しています。「休日の午後、街の人が集まって、ゆっくりとコーヒーを飲みながら認知症について話し合い、認知症の知見を分かち合っていく」。それが最初に構想した「Dカフェ」の基本的なスタイルです。
−最初に設置したのが自宅を改装した「ラミヨ」ですね。
竹内:当時、母と二人で暮らしていた自宅は、戦前の建物で老朽化していたため、改築の必要がありました。そこで建て替えするときに1階を住居、2階を公共スペースにしてカフェにすることにしました。そして工事が完了した2012年7月に認知症交流会「ラミヨ」をスタートさせます。残念ながら母は着工する前に98歳で亡くなったため、一緒にスタートのときを迎えることはできませんでした。
−Dカフェを立ち上げるにあたって行政の支援はあったのでしょうか?
竹内:「ラミヨ」をスタートした直後の2012年9月、厚生労働省が認知症施策推進5か年計画「オレンジプラン」を発表しました。そのなかに「認知症カフェ」という文言が出ており、普及がうたわれていました。こうした流れの中で、東京都の担当の方から「都内にこのようなカフェを広げるための補助事業を考えている」という提案を受けました。そこで私たちも認知症カフェ多拠点展開計画(Dカフェプロジェクト)をスタートさせ、交流会「ラミヨ」をDカフェの第1号店「カフェ・ラミヨ」と改称しました。翌年、東京都から補助事業についての発表があり、予算編成の都合で2014年から補助金を受けられるようになりました。
補助金は最初の3年間は東京都が全額負担、次の2年間は東京都と目黒区の折半ということになっています。現在Dカフェは目黒区の事業となっていて、2014年春に設立したNPO法人「Dカフェnet」が受託運営しています。
2014年7月には2号店「Dカフェ・ニコス」を西小山に開設し、現在は目黒区に10拠点を展開しています。
−短い期間に多拠点展開されていますが、どのような苦労がありましたか?
竹内:やはり場所を確保するのが一番の課題でした。1号店は私が自宅を開放しましたが、民家を提供してくれる人は、そういるものではありません。商店の空き店舗を活用してはという案もありましたが、現実には見つかりません。
そこで思いついたのがデイサービスの休日を利用して、カフェを開くことでした。事業者に相談したところ、同じ介護問題を扱っているということで賛同を得られました。
また、地域の医療機関も会場として活用しています。総合病院には講義室や会議室など、使える場所が豊富にあり、医療関係者との連携を密にすることもできます。病院側も地域との交流を模索していたこともあり、複数の病院が私たちの提案を受け入れてくれました。現在は目黒区内の3つの病院がDカフェに協力してくれていて、医療スタッフによるミニフォーラムなども開催しています。
ほかにも訪問介護ステーションや、区の高齢者センター、変わったところでは居酒屋「養老乃瀧西小山店」などが会場となっています。居酒屋を活用するようになったのは、顔なじみだった店長に「最近、介護問題を話題にしながら酒を飲んでいるサラリーマンが増えている」という話を聞いたのがきっかけでした。確かにサラリーマンの人は、介護の問題を抱えていても、平日に区役所や地域包括支援センターへ相談に行くことができません。そこで日曜日の開店前に居酒屋でDカフェを開くことを考えました。店長も好意的で「ぜひ使ってください」と協力を申し出てくれました。お酒は出しませんが、落ち着いて話のできる会場です。
また、訪問看護ステーションは「まちかど保健室」というコンセプトで運営しており、認知症に限らず、健康チェック等もできるようにしています。作業療法士と一緒に、ものづくりを楽しみながらリハビリができる「リハビリ工房」もあります。
Dカフェにはさまざまなタイプの拠点が揃っているので、自分に合った場所を選ぶことができます。
−現在10か所でDカフェを運営していますが、なにかポリシーのようなものはありますか?
竹内:みんなが同じ料金を払うということにこだわっています。Dカフェでは、ボランティアの運営スタッフを含め、参加者全員が300円を払うことになっています。もちろん私も毎回払っています。なぜ有料にこだわるかというと、300円さえ払えば、認知症の方も介護者も、医療スタッフも、みんな平等な立場となるからです。これを「300円のデモクラシー」と呼んでいます。デモクラシーの基本理念は自由・博愛・平等です。世話をする人と、される人を区別するのではなく、全員平等の関係を築くことをめざしています。DカフェのDは、デモクラシーのDでもあるのです。
介護者と認知症の方の関係はどうしても縦関係になりがちで、介護する側が必要以上に世話を焼こうとします。しかしそれでは平等な関係にはなりません。Dカフェの中では、極力口出しをしないようにしています。認知症の方が困っていたら、一から十までサポートするのではなく、さりげなくフォローするのを理想としています。
−本人の意志を尊重して自立心をもってもらうということですね。
竹内:先日、民生委員の方たちがDカフェを見学されました。みなさん一様に「どのカフェにも認知症の方が少なくて、家族やスタッフが多いのですね」とおっしゃっていましたが、各拠点には数人ずつ認知症の方がいました。自分でコーヒーを入れるなど、他の参加者と同じように過ごしていたため、民生委員も認知症の方がいたことに気付かなかったのです。身の回りのすべてを介護者がサポートしている自宅やデイサービスでは依存心が強くなり、こうはならなかったでしょう。自立した生活を送る手助けをするところに、Dカフェの値打ちがあると思っています。
−介護者との関わり方も大事なのですね。
竹内:こんな事例がありました。60代の若年性認知症の女性がいました。彼女は自分が認知症になったことを理解していましたが、家族がなかなかそれを受け入れられませんでした。いつも家族に「もっとしっかりしろ、脳トレをやれ」などと言われてつらい思いをしていました。デイサービスにも行きましたが、60代の彼女にはサービスの内容が合っていませんでした。自分からなにかやろうとしても、「こちらでやるので、じっとしていてください」と言われ、窮屈に感じたそうです。そんな彼女も、Dカフェでは自分でやれることを見つけて働いています。彼女は人の話を一生懸命聞くことができるという特性をもっています。あるとき介護に行き詰まった人がカフェに来て彼女の横に座り、日ごろの鬱憤を吐き出すかのように、ものすごい勢いで話し始めました。かなり長い時間、一方的に話していたように思います。それでも彼女は、嫌な顔一つせず身を乗り出して話を聞いていました。愚痴を吐き出した人は「こんなにじっくり話を聞いてもらったのは初めてです」と言って晴れやかな顔で帰っていきました。彼女は、話の内容をすべて理解したわけではありません。しかし、相手の心の痛みを気持ちで聞いてあげることができるのです。これは憶測ですが、もしかしたら自分を介護している家族と重ね合わせて話を聞いていたのかもしれません。「認知症の方が聞き手となって、介護者の愚痴を聞いてあげる」、そこに介護をする者、される者という区別はありません。私はこれを見て実にDカフェらしい、良い光景だなと思いました。
−スタート当初の参加者は何人ぐらいでしたか?
竹内:スタッフを含めて20人前後でした。今でも「カフェ・ラミヨ」には平均して20人前後の人が集まります。スタート時のメンバーは、私を含め家族会に所属している人たちでした。現在も、認知症に対して問題意識をもっている現役の介護者、あるいは介護経験者が活動の中心となっています。また拠点によって特徴は違いますが、医師や作業療法士といった専門職の方にも協力をいただいています。
−どのような方が訪れているのですか?
竹内:最初は介護者が単独で訪れることがほとんどです。身近な人に介護の悩みを相談してもなかなか理解してもらえず、同じ経験をした人が集うこのカフェに来て話をするのです。そこで、「次は本人と一緒にいらっしゃい」とすすめます。
認知症の方が家族と来たときは、できるだけ離れて座ってもらうようにしています。家族は「母(父)のことは私にしか分からない」などと言って、抱え込みがちで、いつもぴったりとくっついています。そこで本人を家族から引き離し、別の参加者と一緒に過ごしてもらいます。家族は別のグループに混ざり、介護の悩みなどについて話してもらいます。引き離しはしますが、室内で見えるところにいるのでお互いに不安は感じません。そうやってお互いの自立心を促していきます。介護している家族にとっても、自宅では見ることのできない姿を見て、気付くことも多いようです。「お母さんはこんなこともできるんだ」「私の聞いたことのない話をしている」といった感想をよく耳にします。
−機関誌があるとうかがったのですが。
竹内:NPOへの補助金を活用して、年に2回1万部ずつ『でぃめんしあ』という認知症情報誌を発行しています。情報誌には、認知症について悩みを抱えている人がどこへ行けばよいか一目で分かるように、認知症サポートマップを掲載しています。目黒区内のDカフェ、家族会、介護者の会、認知症疾患医療センター、若年性認知症総合支援センターなどの情報を載せてあり、自分に合った拠点を選べるようになっています。
これを民生委員、区の保健師、介護事業者などに配布しています。役所に置いてあるだけでは、なかなか読んでもらえませんから、訪問したときに話をしながら直接渡してもらうようにしています(声かけ手渡し媒体)。『でぃめんしあ』を見てDカフェの存在を知り参加するようになった人もたくさんいます。
−認知症カフェの草分けということで取材や見学も多いのではないですか?
竹内:行政や地域包括支援センター、社会福祉協議会などさまざまな人が「自分の街でもこんなカフェをつくりたい」と来訪されます。ただ見学に来た人と話をすると、彼らの多くがイメージしているのは介護者支援に重点をおいたカフェであるように感じられます。認知症の方の参加については、「認知症の方をどう扱っていいか分からない。優秀なボランティアを集めなければケアできない」と言うのです。多くの人にとって、認知症は扱いの難しい特別な病気だという思い込みがあるのでしょう。そのため介護者の悩みを聞くための介護者支援カフェを考える人が多くなっているような気がします。
認知症の方がデイサービスに行っている間に、介護者が息抜きとして認知症カフェに来るというようなこともあります。もちろんそれも意味のあることですが、やはり本人と家族がカフェに一緒に来て、いろいろな面に気付くことのほうが、ケアのレベルを上げることにつながるのではないでしょうか。
−参加者のなかに問題行動を起こすような方はいらっしゃいますか?
竹内:難しい質問です。現在、暴力や暴言があるような方はいらっしゃいません。そういった方への対応は、また別の課題になると思います。しかし、問題行動を起こさない穏やかな人ばかりではありません。対応を間違うと、急に不機嫌になって「帰る!」と言い出す人はたくさんいます。そんなときでも私たちは無理に引き止めず様子を見ます。最初は「なんでこんな所に来るんだ」と言っていた人も、友達ができてお茶を飲んでいるうちに、少しずつ落ち着いてきます。そうしたことを繰り返すと、嫌がらずに通ってくるようになります。
また、家族がカフェに連れてくるとき、嫌がる場合もあります。いきなり「Dカフェ」と言っても理解できませんから、「そんな訳の分からないところには行きたくない」となってしまうのです。そんなときは「ちょっと散歩に行こう」と言って連れ出し、ついでに寄ってもらうようにします。Dカフェに来れば、こうした介護のノウハウを学ぶこともできます。
認知症の方は、今までできていたことができなくなることで自信を失い混乱しています。そんなときに「ああしなさい、こうしなさい」と頭ごなしに言ってもストレスがたまるだけで、余計に荒れてしまいます。家族や周囲の人が認知症であることを受け入れ、「できないことがあってもいい、幸せに暮らしていれば」という気持ちでいることが、お互いのストレスを軽減できるのではないでしょうか。
−認知症の場合、家族が隠したがるため、認知症カフェをやっても誰も来ないだろうと言う人もいます。これについてはどう思われますか?
竹内:認知症を隠したがる人が多いというのは、認知症に対する報道のされ方に原因があると思います。マスコミは「徘徊老人が行方不明になった果てに・・・」というような問題事例を大きく取り上げます。もちろん問題を報道することは必要です。しかし認知症に対してあまりに多くのネガティブな情報ばかりがあふれているため、みんな認知症を隠したがるのでしょう。報道の在り方は急に変えることはできませんから、我々は草の根で地道に活動していき、現場から認知症に対する正しい情報を広める努力をしていくつもりです。
−高齢社会や認知症について不安を抱いている人も多いと思うのですが、そういう人たちになにかアドバイスはありますか?
竹内:認知症カフェで参加者同士が情報交換することによって、将来への見通しが立ち、むやみにおびえることもなくなります。もし自分ひとりで手に負えない問題に遭遇しても、仲間がフォローしてくれるから安心です。私は一人暮らしですが、自分の将来を悲観していません。みんな認知症の知識や情報をもたないまま、負のイメージだけで捉えようとするから不安になるのです。
−最後にこれからの目標について聞かせてください。
竹内:Dカフェは現在10カ所の拠点があり、あと2カ所ほど増やす予定があります。私は70代ですから、これからは次世代へのバトンタッチを考えています。
各拠点のメンバーたちは、現場で問題に取り組み、実践的な経験を積んでいます。ただ、それだけでは足りません。やはり理論の裏付けや、心構えを学ぶことも必要です。そこで最近は、理論的な勉強にも力を入れるようにしています。
今後は実践力と理論を併せ持ち、自分の力で動ける地域社会のリーダーを増やしていきたいと思っています。
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