でも、私が最もイタリア人を自由奔放だと感じたのは、彼らが運転している車の流れに私自身が車で参加したときでした。
私の運転歴は学生時代からですので、その当時で30年くらいの実績がありました。ですから車の運転に関してはある程度自信を持っていましたが、ローマの町中を始めて運転したときは度肝を抜かれました。まるでレースをしている中に放り出された感じだったのです。海外在住は二度目でしたから左ハンドルにも慣れていましたし、何とかなるとは思ったのですが、この道路レースに参加しない限り流れに乗ることができないのでさすがにそのときは自信を失いました。
それでも1ヶ月ほど経験を積むと、これが結構楽しいものだと気づき、慣れれば何とかなるものだということが分かりました。それにしても、日本での車の運転の仕方とはなんという違いなのでしょうか。
日本では交通ルールがまずあって、規則に従った秩序ある運転を基本的には皆で守ろうという共通の意思がありますが、イタリア人はこうした規則・秩序などといったものとは無関係なのです。何しろレースですから、スタート場所はできる限り前のほうに陣取ることを心がけます。広い道路で信号待ちになると、車線に関係なく横一線に広がります。この車線を無視した陣取りの仕方は半端ではなく、隙間があれば入り込もうとします。
いざ青信号に変わると、新車もポンコツ車も我が車が一番とばかり、一斉にアクセルを思いっきり踏んでスピードを上げていきます。のろのろ走っている車があれば、相手に衝突せんばかりに迫り、先を譲るように催促します。カーブでは曲がりきれるぎりぎりのスピードで突っ込んでいきます。こうして日頃レースの訓練を欠かさず行っているので、イタリアには優秀なレーサーがたくさん輩出されるのだと思いました。
信号は何のためにあると思いますか?もちろん車と人が安全に通行するためです。では、信号が青ならば安全ですか?
イタリアでは、場所によっては青でも安全の確認をするために徐行します。また、赤でも安全であると判断したらさっさと渡ります。つまり、信号とは注意を喚起するための目安であって、安全が確認できれば無視しうる存在とイタリア人は考えているようです。従って、ずっと見渡せるような道路の信号が赤になっていても車が来なければ、日本のように「赤は止まれ」の規則に従って、延々と青になるまで待つようなことは決してしません。
このように、車はレースのように運転し、しかも交通信号はあっても無いような状態だと横断歩道も安心して渡ることができないのではないかと心配になりますが、これにはコツがあります。横断歩道を歩いているとき、車が向こうから凄いスピードで走ってきても絶対にその場で止まらず、同じスピードで渡りきることです。車は歩いている人のスピードに合わせて速度を調節するので、むしろ足をすくめて立ち止まったりすると危険なことになります。横断歩道では車は止まるという規則(?)・習慣がないようなので、そういうことを期待してはいけません。ひたすら車がうまくすり抜けてくれることを信じて歩き続ける勇気が必要です。
こうした緊張の連続した車社会なのですが、日本と比べて交通事故による死亡者が多いということは無いようでした。日本のように、規則でがんじがらめにしたところで事故は一定の確率で起きています。結局、自由放任型か規則締め付け型かの選択は国民性の違いということになりましょうか。
おそらく、日本をイタリア型の車社会に変えるなどということは絶対不可能でしょうし、イタリアを日本型に変えることも同様です。この問題は車社会に限らず、経済や教育といった分野も同じような違いがあるように思いました。それは、とりもなおさず、文化の違いということなのでしょう。
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