今年の名古屋は、正月3日から雪が降りました。41年ぶりの大雪だとか。あたり一面の美しい銀世界を楽しみつつも、身を縮ませていました。寒い寒いといいながら、日々を送っているうちに、陽の光も少しずつ明るさを増し、ふと気がつくと、そこかしこに春の兆しが見え始めていました。
つい先日、淡い黄緑色の芽が出始めた我が家の桜草も、日ごとに若葉が成長しています。やがて、葉が繁り、見る見る花茎が葉を追い越して、可憐な花々を咲かせる様子を想像すると、心の中に期待が膨らみます。
この桜草は、10年前、鎌倉にある友人の実家を訪れたときに、お父様からいただきました。丁度、花の満開時で、庭の花台に並んだ桜草の鉢植えの見事だったこと。白やピンクや紫の濃いのや淡いの、のどかな春の日差しを浴びた花たちの清楚な姿に、すっかり魅せられてしまいました。
日本桜草と呼ばれる花は、日本の原野の湿地に自生するサクラソウの園芸品種で、江戸時代後期から伝わる伝統園芸植物です。冬から早春にかけて園芸店に並ぶプリムラは、ラテン語の「プリマ(始め)」に由来して、一年で最初に咲く花の意味があります。花の種類は、300種以上もあって、花の形や色、咲き方、花弁の切れ方が微妙に違っています。
桜草の愛好家は多く、全国各地に愛好会もあって、友人のお父様も「湘南さくらそう会」のメンバーとか。蘭や薔薇の愛好会は知っていましたが、桜草に愛好会があることは、そのとき初めて知りました。
桜草の名前は、日本的な趣のある名前がつけられていて、謡曲の中からの命名も少なくありません。友人のお父様から「記念に」といただいた桜草は、「赤蜻蛉」という品種。淡い桃色の小さな花を咲かせます。その愛らしさは、桜草の中でも抜群です。あまり強くはない品種ですが、家の庭に合ったのでしょうか。「上手に育てている」と胸がはれるほどではありませんが、今日までなんとか順調に育っています。


これは世阿弥が体得した「能の心」を記した『風姿花伝』の中のよく知られた一節です。自然に咲く匂う花にことよせて表したこの伝書は、「花は心、匂いは風情」といった優雅な表現が随所にみられ、600年も隔てた今読んでも、心に迫ってくるものがあります。
年々、繰り返される桜草の営みを眺めていると、ふと世阿弥の残したこの言葉が浮かびます。この10年、庭の桜草は、季節の移り変わりに従って、同じ営みを繰り返してきました。それなのに、絶えず心弾ませる期待と新鮮な感動がありました。まさに、世阿弥のいう「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり」の世界です。
毎年、庭の桜草がはじめて咲いた日、友人のお父様にそのことを知らせるはがきを書いています。鎌倉の春は名古屋より一足早く、桜草の開花も早いのですが、花が咲き始めると「そろそろ名古屋も花が咲く頃だろう」とはがきが着く日を心待ちにしてくださっているそうです。
今、お父様は病の床におられます。91歳という高齢ゆえ心配を募らせていますが、厳しい冬を静かに耐え、輝く春の幕開けを告げる桜草、「希望」というその花言葉に託して、花の咲くころには健康を取り戻されるように祈らずにはいられません。