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SRコラム

成年後見トラブル実話/「あなたのため」という偽善
2025.03.21 更新
地域包括支援センターに相談した結果、自宅を追われた90歳単身女性――
90歳になるAさん(女性)は学校の先生でした。幼い時から両親と8歳上の姉と一緒に借家に住み、家にも庭にも愛着があります。
ある日、開発業者から「この地域で大規模なマンション計画があるので立ち退いてほしい」と言われました。最初は断っていましたが、再三言われるようになり、困ったAさんは、地域包括支援センターに相談しました。
地域包括支援センターは「そうですか」と素っ気なく言うだけで、「この人に相談すればいい」とある弁護士を紹介されました。紹介された弁護士を訪ねて事情を話すと、「あなたが立ち退く前提なら引き受けてもいい」と言われました。Aさんは「私は立ち退きたくない。話にならない」と何も依頼せず自宅に戻りました。
その後、開発業者から正式な立ち退き通知が来てしまいました。他に相談する人もなく、仕方なく再びその弁護士を訪ね、開発業者との話し合いを依頼せざるを得ませんでした。まもなく、弁護士から「3,150万円もらって立ち退く方向で話がつきそう」と連絡がありました。「立ち退くしかないのか…」と落胆しつつ、しぶしぶ応じるしかありませんでした。すると弁護士は「住むところが必要でしょう。ちょうどいい物件がある」と築50年、40平米、3,280万円、10年の定期借地権付きの物件を、「ここがいい。今しかない」と強く勧めてきました。Aさんは他に相談できる人もなく、他の部屋を見ることもなく、その部屋を購入することにしました。
その後、開発業者と話がついたはずなのに、弁護士から「立ち退きに関して裁判をすることになった」と言われました。なぜそうなってしまうのかわからないままでしたが、やむなく裁判を依頼しました。加えて「認知症になると財産管理や施設の契約で困るでしょう」と言われ、誘導されるままにその弁護士と任意後見契約を結びました。さらに、その弁護士の勧めで「亡くなったらすべての財産を目黒区に寄付する」という公正証書遺言も作ることになってしまいました。結局、弁護士には、立ち退きの関係で500万円、任意後見や遺言で60万円ほど請求され、支払いました。
90歳にして初めてのマンション暮らし。以前の家から近いところなので買い物などは今まで通りにできるとはいえ、慣れ親しんだ畳の部屋も好きだった庭もありません。引っ越しの際に業者から「今度の家は狭いから荷物を処分するように」と言われたので、思い出のものといえばアルバムから気に入った写真を数枚抜いて持ってきた程度。狭いマンションでの生活は、無機質で閑散としたものになってしまいました。
Aさんは、なじみのヘルパーさんが別の介護事業所に移ることになったので、移籍先の介護事業所に家事支援をお願いすることにしました。しかし、ヘルパーさんは、新しい事業所に移るなり態度が変わって、Aさんが行くスーパー、銀行、病院など、特に頼んでもいないのにどこにでもついてくるようになりました。おかげで、月1~2万円だった支援費の支払いが10万円を越すようになりました。
しまいには、そのヘルパーさんから「養子にして欲しい」と言われるに至り、「やはり何かおかしい」と思い、ここ数か月の間に起きたことを知り合いに相談しました。
知り合いに資料をすべて見せたところ、弁護士はマンションの部屋を売る不動産屋の顧問であること、引越業者はその不動産屋の関係者だったことがわかりました。そして、新しい介護事業者の責任者は、もと地域包括支援センターの職員であることもわかりました。つまり、Aさんを取り巻くすべてが繋がっていたのです。
結果的に、Aさんは公証役場へ行き、弁護士と結んだ任意後見契約を解除し、弁護士を遺言執行者とする遺言を撤回しました。そして、介護事業者との契約も解除しました。すると、Aさんの行動を聞きつけたのか、区の高齢福祉課、地域包括支援センター、社会福祉協議会の権利擁護センター、保健所、警察などが代わるがわるAさん宅を訪ねてきて、施設に入るよう説得するようになりました。断っても断っても、ある時は配食サービスの人の後ろに隠れて、数人が部屋になだれ込んで来たこともありました。
その後3年が経ち、Aさんは、以前からAさんのお世話をしてくれて信頼できる人と任意後見契約を結び、将来に備えることにしました。3年の歳月がかかったのは、一連のことで人を信じられなくなってしまったからだそうです。
考えてみれば、地域包括支援センターに相談したことを契機に生活が一変し、金銭的にも1千万円近い支出が発生しました。総じて、関係者の「偽善」に翻弄されてしまったのですから、Aさんが世の中不信になるのも致し方ないことです。
Aさんは言います。「あなたのためとみんな言っていたけど、私にとっては迷惑ばかりだった」と。