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SRコラム

成年後見トラブル実話/自分亡きあとの子の行く末 (3)
2025.03.30 更新
フォーマルとインフォーマルの対立も本人の利益――
両親が亡くなり、Nさんは一人ぼっちになりました。唯一の親戚は高齢で付き合いもなく、頼ることはできません。しかし、葬儀の仕切りや病院への支払いなど、Nさんがすべき仕事は山のようにあります。のみならず、一人になったNさんがこれからどこに住み、どのような生活をして、どうやって人生を歩むのかを決め、早々に準備しなければなりません。
Nさんは成年後見制度の対象から外れたとはいえ、これら全部をひとりで行うことはできません。しかしお父さんは、そのようなことも当然あろうかと、自分の死後のことやNさんの生活のことを懇意の方に詳細に伝え、頼んでいました。それは「自らの葬儀は質素でよいが、Nがお世話になっている会社の人、一緒に働いている仲間、それ以外でもNを支えてくれている人たちを呼んで食事を振る舞って欲しい」という内容でした。
葬儀は、Nさん家族の闘いを支えてきたインフォーマルな支援者(以下「支援者」といいます)が、Nさんをサポートする形で執り行いました。通夜に来てくれたNさんの会社や仕事仲間には、お父さんの希望に沿って、一人2,500円のお寿司と飲み物を用意してお礼をしました。
通夜の席でNさんは、喪主として30名ほどの弔問客の前に立ち、「ありがとうございました」と大きな声で挨拶をしました。それ以上の言葉はなくても、駆け付けてくれた方々に対する感謝の気持ちを自ら表現したことは誰もが理解していました。
Nさんは、お父さんの緊急入院にあたって急遽探したグループホームに入居していたので、葬儀後は元の生活を取り戻していました。
葬儀の数日後、Nさんが勤める特例子会社の社長が「障害者なのにずいぶんと豪勢な葬儀だった」とか、「後見人を外す必要はなかった。あの子は何もわかっていないから我々でいろいろ支援しないといけない」などと会社の幹部や福祉の関係者に対して発言したことが支援者の耳に入りました。それが本当なら、障害者福祉を標榜する事業者としてあまりに無理解だと感じ、支援者らが社長に直接確認すると発言を平然と認めたので、一同は「あなたのような人は特例子会社の社長でいるべきではない」と激怒しました。
Nさんのお産に立ち会って、生まれたときからずっとNさんの成長を気にかけてきた保健師さんがいました。その方は、社長の発言を知るや、Nさんの身を案じて会社に押しかけ、責任者と話しをしました。すると、かれこれ10年、毎日顔を合わせてNさんを見てきたはずなのに、責任者は「Nさんとは話したことがないけど、あの子は何もわからない」と言いました。
数名しかいない会社で言葉を交わしたこともないとはどういうことでしょう。「特例子会社の看板の陰で偽善に満ち溢れる事業者の実態が浮き彫りになった」と支援者らは愕然としていました。
また、支援者たちはNさんのお母さんが「あの会社はインチキ。グループホームの業者とグル」と言っていたことを思い出しました。そこで「もはや両親のいない土地に固執する必要はない。支援者ネットワークで他の地域に住んでみたり、別の作業所で働いてみたりして、一番気に入った所で次の人生を送るための支援をしよう」と判断し、その準備に入りました。このことは、お父さんとも生前に話していたことでした。
そうしたところ、突如「Nさんの成年後見人になった」という弁護士が支援者たちの前に現れました。不思議に思って調べてみると、会社やグループホームが市役所に働きかけて、それに押された市がNさんに後見人をつけるよう市長名で家庭裁判所に申請したことがわかりました。しかし裁判所は、半年前に「Nさんには後見は不要であるから後見を取り消す」と審判を出していました。
お父さんが亡くなったとはいえ、Nさんは以前の生活を取り戻しており、半年の間に判断能力が下がったということはまったくありません。「後見人が必要なほどまでに判断能力が低いから後見人を付ける」という裁判所の審判は理屈に合いません。
支援者らは「後見の審判が出たのなら、それほどまでに能力が低いという診断書を出した医者がいる」とNさんの主治医に事情を聴くと、「私は保佐の診断書を書いたが、役所から一番重い後見にして欲しいと言われたので、そうするものだと思い込んで軽々しく訂正してしまった」と内実を話してくれました。
次に、支援者たちはグループホームにNさんを訪ねました。部屋には鍵がかけられていましたが、外から声を掛けると開けてくれました。Nさんを見ると、お気に入りの長い髪が丸刈りに近いザンギリ頭になっていました。とても美容院で切ったとは思えず、「誰に切られたの?」と聞くと、Nさんは泣きそうな表情で俯いたまま何も言いません。支援者は虐待にあたるとして県に通報しましたが、何ら対応はありません。もちろんグループホームは素知らぬ顔です。福祉の看板の陰で、またもや偽善を感じざるを得ませんでした。
その後、支援者たちはNさんと定期的に両親のお墓参りに行っています。Nさんには、電車の切符を自分で買うように、お寺では自分でお布施を渡すよう促したり、ご両親がそうしてきたようにサポートして、Nさんの主体性を引き出す工夫をしています。
障害のある子の親は、自分亡き後の子の行く末を案じるのは当然です。子のために何を遺せばよいのか、信じていいことと悪いことを峻別し、「まだ大丈夫」と思わず、早めに準備されることを切に願います。