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SRコラム

成年後見トラブル実話/連れ去られて会えず、医療も受けれなかった母
2025.03.28 更新
仕事をしない後見人・無駄なことをする区役所・監督しない家庭裁判所――
Kさんの母親は、昭和3年長崎県生まれ。昭和28年に結婚してKさんが誕生しました。
平成3年、Kさんの父親が脳梗塞を発症して東京都内の病院に入院したのをきっかけに、東京都足立区に住むKさんと同居するようになりました。
平成30年2月のある日、Kさんの母親はいつものようにデイサービスに行きました。しかしその日、区の職員によってデイサービスから連れ去られ、行先不明のままKさんのもとには二度と帰ってきませんでした。
すべては後になってわかったことですが、母親はデイサービスからいったんどこかの施設に収容され、足立区によって弁護士の成年後見人(以下「後見人」といいます)を付けられ、後見人によっていくつかの特別養護老人ホームをたらい回しにされた挙句、令和4年2月、区内の病院で慢性腎不全により亡くなったのでした。
連れ去られてから亡くなるまでの5年間でKさんがお母さんに会えたのはたったの2回。1回目は連れ去られてから3か月後。2回目はKさんが弁護士に面会交渉を依頼してようやく会えたのでした。面会場所は区役所内の会議室で、区の職員が立会う衆人環視のもと、時間は1時間に限られていました。
最初の面会で、お母さんはKさんを見るなり「あんたに会うまでは泣かないと我慢してきたが、何度も涙が出そうになった」と言ってうつむき、「子どもが親を思う気持ちもあるだろうが、親の思いはもっと深いんだよ。前みたいにあんたと一緒に暮らしたい」とKさんの目を見て訴えました。それは同席した職員や後見人も見て聞いていました。
この時、Kさんのお母さんの主治医は、「このような急な親子の分離は、本人の日常生活動作を低下させ、認知症を進行させ、精神状態を悪化させる懸念がある。このまま長期に自宅から本人を分離し続けることは本人のためにならない、できるだけ早く自宅に返すことがよい」という意見書を出しました。
しかし後見人も足立区も、医師の意見を黙殺し、お母さんをKさんのもとに帰すことはしませんでした。
2回目に会えたのは、それから3年ほど経ってからでした。区役所の会議室に10名ほどの職員が並ぶ中、お母さんはKさんを見るなり名前を呼んで「どこにいたの? 何してたの?」と再会を喜んでいました。母親の身を案じていたKさんが靴下を脱がせてみると、浮腫みがひどく、水虫で爪はボロボロ。ひどい有様でした。しきりに胸をさすって具合が悪そうだったのも気になって、Kさんは複数回の健康診断の記録を取り寄せました。見ると、お母さんの血中のクレアチニン値は0.9mg/dl、腎機能はステージ3b程度に悪化していました。Kさんは後見人に「きちんと治療させて欲しい」と伝えましたが、「区と相談する」とのらりくらりかわすだけで、治療の手配はしてくれませんでした。
2回目の面会を果たしたとはいえ、その後もKさんには母親がどこに居るのか知らされず、情報は一切遮断されていました。結局、亡くなったことも暫く知らされないままでした。
Kさんは母親が亡くなった後、施設や病院から介護や医療の記録を必死になって取り寄せました。病院の記録を見ると、令和3年10月の検査の結果、クレアチニン値は1.8mg/dl(ステージ4)に上昇し、12月には2.47mg/dl(ステージ5)で、末期腎不全と推定されるものでした。そして令和4年2月、容体が悪化して緊急入院した時点でのクレアチニン数値は4.7mg/dlまで上がっており、それから間もなく亡くなってしまったのでした。
また、お母さんの担当医師は、後見人に「手術するかどうか、ご家族に聞いてほしい」と求めていました。後見人にはお母さんに代わって手術をする、しないを決める権利はないので、すぐにKさんの意向を聞くべきでしたが、何も伝えず、結局治療は保留されていたのでした。
この経緯を知ったKさんは、寂しさを超えて怒りを覚えました。そして、医師がもっと早くに母自身にどうするか聞いたり、後見人からKさんの居場所を聞いて連絡してくれれば加療できたはずだったと考え、お母さんの後見人だった女性弁護士(亡くなったことにより後見は終了)を保護責任者遺棄致死罪、医師を業務上過失致死罪で刑事告訴しました。
ところが、告訴状を見た警察は「何人かの医師に聞いたら、『このようなことでいちいち訴えられたら医師をやっていられない』と言っている」とKさんの告訴を受理しませんでした。しかし、医療をしなかった不作為の罪を追及しているわけですから、Kさんと弁護士は警察の対応に納得できませんでした。仕方なくKさんは、民事裁判で白黒をつけることにしました。
母親は帰宅したいと言い続け、また、帰宅させることは可能だったのにさせなかったこと、お互いに会いたいと言っている親子を会わせなかったこと、病状が悪化していることを認めながら適切な医療を施さなかったことなどを理由に、もと後見人(母親の死亡により後見は終了)、足立区、母親がいた介護施設、家庭裁判所を被告にして裁判を起こしました。
家庭裁判所を被告にしたのは、家庭裁判所は成年後見人の仕事を管理監督すべきなのに今回の事件ではそれをした形跡がないことと、成年被後見人であったお母さんに関する資料の開示を求めたのに一切開示しなかったという2つの理由からです。
Kさんは、仕事をしない後見人、無駄な介入をする足立区、管理監督をしない家庭裁判所への責任追及と、悪しき制度運用の是正を世に問うことをライフワークにしていくことを心に決めました。