義父が多発性脳梗塞で倒れ病院へ運び込び、6ヵ月入院していた時の話ですが、同じ大部屋にAさんと言う方がおられ誠に頑固者で会社の現役時代には、どんなにか気難しい人であったかが想像出来るような人でした。奥さんが毎日看護に来られるのですが、文句ばっかり言っていて、気にいらないと物を投げたりしていて見るからにお気の毒な感じでした。

それでも、奥さんは黙って耐えておられる様子に、妻といつも「気の毒だな」と噂をしていました。そして、数ヵ月後には奥さんの来院回数がだんだん少なくなって来ました。そして今度は口喧嘩が絶えない様子に、我々はだんだん心配になって来ました。そして、心配していたことが起こってしまいました。ついに、奥さんの姿が見えなくなったのです。

Aさんは怒ってばかり、その頃になると義父の具合も良くなって来ていましたので、逆に心配して世話をやく始末。それでも気にいらないと相変わらず物が飛んで来ていました。最後には妻にまで用事を言いつける始末。部屋の雰囲気も悪くなるし、シラッとした感じです。看護婦さんや介護人さんにもあたる始末で、これでは誰も寄って来ません。そして最少限度のことしかして貰えなくなりました。実に可哀相なことながら自業台得の様相にハラハラするばかりでした。その内に義父の方が部屋を変わりましたので、それ以後のことはどうなったか分かりません。このことからも普段元気な時のAさんの夫婦関係や、日頃の態度と生き方に「思いやりと感謝」の気持ちが欠けたことが伺えます。

人間どちらがどの様になるか分かりません。夫婦と言えども所詮お互い赤の他人なのです。男と女の垣根を越えて本当の夫婦になることは大変に難しいものです。そこに夫婦として日頃からのコミニケーションが必要になって釆るのです。「思いやりと感謝」の気持、そして、お互いの「信頼」こそが求められるのではないかと思うのです。

人間維しも自分が可愛いものです。そこには自分の「我」よりも「思いやりと譲歩」が必要になって来るのではないのでしょうか?
ともすると、いつの間にか自分も「我」を通す人間になっていることに気が付くことがあります。お互いに気を付けたいものです。


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